プロフィール

 ― 明るさの裏に隠した「守らなきゃ」の思い

小さい頃、私は「明るくて元気な子」とよく言われていました。
友達の中心にいて、みんなを笑わせたり励ましたりするのが大好き。

でも、その笑顔の裏には、いつも「母を守らなきゃ」という強い思いがありました。
父の暴言や家庭の不穏な空気の中で、母を支えるために、私が強く明るくいなければ――そう自分に言い聞かせていたのです。

本当は苦しくて、しんどくて、誰かに「助けて」と言いたかった。
けれどそれを口にすることはできず、心の奥にしまい込んでいました。


 ― 夢はあるのに希望が見えない暗黒時代

高校・大学時代は、そんな小中時代とは一転。
教室では目立たず、成績も下がり続け、自信を失っていきました。

リーダー格の子たちを羨ましく見つめながら、
「私には何もない」と思い込む日々。
過度なダイエットから摂食障害にも苦しみ、心も体もボロボロでした。

空手道部だけは必死に頑張りましたが、部活を引退すると不登校気味に。
友達とも距離ができ、孤独感は深まるばかり。

それでも「先生になりたい」という夢だけは捨てきれず、必死で大学を受験。
第一志望には落ちましたが、何とか別の大学へ進学しました。

けれど大学でも最低限の単位を取るだけで精一杯。
友人関係も浅く、中国語留学にも行きましたが、成果は感じられませんでした。

頭の中にあったのは、いつも母のこと。
長期休暇のたびに帰省し、手紙をやり取りしながら、
「早く地元に帰って母を守らなきゃ」――そう思い続けていました。


― 全力で走り抜け、限界を知った教員時代

大学卒業後は、地元で学校講師として働き始めました。
教員になる夢を追いながら、生徒の前では小中時代のような積極性を取り戻していきました。

走ることに出会い、ランニングにのめり込み、部活動の指導や大会にも関わりました。
正規採用まで7年かかりましたが、29歳でようやく合格。
夢だった教員として本格的に歩み始めました。

30代はとにかく全力。
生徒の変化にやりがいを見出し、学級経営や部活指導に没頭しました。
結果も出て、保護者や地域からの信頼も得ました。
でもその裏で、断れずに仕事を背負い込み、疲れに気づけないまま突き進んでいました。

さらに、理想の教育を実現しようと熱くなればなるほど、職場で孤立感を覚えました。
同僚とぶつかり合い、自分の限界も感じるようになっていったのです。

家庭でも、母を守らなきゃという気持ちは薄れつつも、
今度は母への憎しみが膨らみ、家にいたくなくてアパートで一人暮らしを始めました。

そして40代、心も体も限界に達し、公立学校を退職。
「もう自分を追い込むのはやめよう」と、私立学校に転職しました。

やがて結婚し、子どもを授かりましたが、夫との関係は次第にすれ違い、家庭内別居のように。
夫を責め、そんな自分を責め、母と同じ道をたどるのではという不安に押しつぶされそうでした。

「このままではいけない」
自分の生きる意味を探し始め、キャリアコンサルタントの資格を取り、コーチングやカウンセリングも学びました。
そうする中で、ようやく本当に大切なことに気づき始めたのです。


 ― ありのままの自分を生きる幸せを広げたい

それは――

ありのままの自分を受け入れられたとき、
世界は少しずつやさしく色づき始めるということ。

「私は幸せだ」と実感しながら、成長していける――
その素晴らしさを、私は多くの人に味わってほしいのです。

子どもの将来、老後の心配、人生の目的。
もやもやを解消したいけれど方法がわからない。
そんなあなたでも大丈夫。

苦しめているこだわりを手放すことで、
自分を大切にできるようになり、
人間関係も仕事も、少しずつ変わり始めます。

成幸体質を手に入れて、自分も周りもハッピーに。
やりたいことができる人生へ。